このハンベエの指摘にはドルバスも沈黙せざるを得なかった。が、納得したわけでは無い。最後はハンベエは拝み倒すようにしてドルバスを押し切った。出処進退、出る処るは人の手助けに依り、進む退く、殊に退くは身一人の事とは言うが、今回退くのはハンベエにとってはほとほと骨の折れる事であった。何しろ、後は野となれ山となれと自分一人だけ立ち去れば良いわけではないからだ。
「貴公が兵士達を束ねねば、王女は立ち往生だ。モルフィネスだけに王女を任せては置けんだろう。」
ハンベエにそう言われ、ドルバスは言い返せなくなった。
「それは仕方ないとしよう。しかし、このまま、ハンベエと別れるのは心残りが有る。俺がテッフネールに子供扱いにあしらわれた後、必死で武技の鍛練に励んで来たのを知っておろう。その目標はハンベエ、貴公じゃ。」
最後にドルバスはそう言った。
ヒョウホウ者であるハンベエはその言葉の意味を直覚した。
この若者は複雑な顔になり、しばらく黙り込んだ後、
「貴公の気分は良く解る。俺はヒョウホウ者だ。俺にも全く同じ気分が有る。だが、そいつは無理だ。俺には貴公は斬れん。斬る理由も覚悟も無い。貴公だとて、この俺にトドメを刺せるとは思えん。互いに相手を討ち滅ぼす覚悟が定まらぬ者同士が仕合おうたとて、それは真剣勝負にはならない。互いに最後のトドメを刺す事に逡巡して右往左往するのが目に見えている。」
そう答えた。
留めを刺せないだろうと言われ、ドルバスはこれ又返す言葉に詰まった。
「言われて見れば、その通りじゃのう。」
ややあって、ドルバスは諦めの溜息を吐いた。
ヘルデンの説得も、
「御大将・・・・・・水臭いでしょうが・・・・・・。」
と相当に食い下がられたが、
「気に入らないだろうが、人は世に求められる居場所に居る外ない。今後も王女の試練は続く。今の状況で、お前が王女を護らなくて誰が護るんだよ。」
ハンベエの居る場所はどうなんだと反問されそうであるが、自分の事は棚上げに徹して、ヘルデンも押し切った。
しかし、更にまだ納得しない者達が居た。特別遊撃隊の面々である。特別遊撃隊と言えば、旧タゴロローム第五連隊の生き残りである。タゴロロームにおける対アルハインド戦で、モルフィネスに受けた扱いを忘れたわけでは無い。戦いの日々の果ての果てに、ハンベエが去り、モルフィネスが残って王国を牛耳るという結果を心情的に受け容れられないものがあった。 このハンベエの指摘にはドルバスも沈黙せざるを得なかった。が、納得したわけでは無い。最後はハンベエは拝み倒すようにしてドルバスを押し切った。出処進退、出る処るは人の手助けに依り、進む退く、殊に退くは身一人の事とは言うが、今回退くのはハンベエにとってはほとほと骨の折れる事であった。何しろ、後は野となれ山となれと自分一人だけ立ち去れば良いわけではないからだ。
「貴公が兵士達を束ねねば、王女は立ち往生だ。モルフィネスだけに王女を任せては置けんだろう。」
ハンベエにそう言われ、ドルバスは言い返せなくなった。
「それは仕方ないとしよう。しかし、このまま、ハンベエと別れるのは心残りが有る。俺がテッフネールに子供扱いにあしらわれた後、必死で武技の鍛練に励んで来たのを知っておろう。その目標はハンベエ、貴公じゃ。」
最後にドルバスはそう言った。
ヒョウホウ者であるハンベエはその言葉の意味を直覚した。
この若者は複雑な顔になり、しばらく黙り込んだ後、
「貴公の気分は良く解る。
「貯水池から撤退中の敵部隊を追うのは?」「どちらでもと言うところでしょう。全体的に見れば、あまり戦略的意義は無さそうですね。途中に敵の罠が有って、思わぬ犠牲が出る危険も有るでしょうし。」ボーンはあまり気の乗らない雰囲気だ。(貯水池を守っていた兵士達はうっかりすると、取り残されて太子軍の追撃を受ける危険性が有る。そんな部隊をあのハンベエが放って置くだろうか。ハンベエ一人で少なくとも二個中隊の破壊力が有る。それとこのような地形で遭遇したら、味方の数が多くともハンベエを討ち取れる公算は低い。全滅は有り得ないだろうが、散々な眼に合わされた挙げ句に取り逃がし、味方に無用の恐怖のみを植え付けてしまう可能性も有る。) とボーンは思うのであった。どうするか、とボーンは腰の剣の鞘を握った。今日は将校服の下に鎖帷子を着込み、腰には通常戦闘用の両刃の長剣を吊していた。(いかん、いかん、あの魔神の剣と正面からぶつかろうなどと、死神の囁きだ。俺の柄ではないし、太子の軍は王女の軍より総体的には勝っている。奇策さえ気を付けて、通常に戦えば勝てるはずだ。)うっかり黄泉の国の扉を開けかけたと戦慄が走り、思い直した。best international school in hk ハンベエはベッツギ川の王女軍陣地にいた。レンホーセン以下の騎馬傭兵部隊も王女軍陣地に留まっていた。エレナ、ドルバス、モルフィネスその他は王女軍本隊三万と共に西方に撤退中である。ベッツギ川からは十キロ以上離れている頃であろう。 貯水池から撤退して来る兵士二百人並びにヒューゴと特別遊撃隊を騎馬に拾う為に、残ったのであった。 貯水池の水が一斉に流されて襲って来た破壊力は凄まじく、川は氾濫し、橋も一瞬の内に破壊され押し流されて行った。今ハンベエの眼前には流木流石が濁った川の流れの中に垣間見えている。氾濫は一瞬の内に過ぎ去ったが、岸は様相を一変し、濁流の物凄さを物語っていた。水量はもう元に戻っていたが、氾濫の状況を間近に見ていたハンベエには、もし太子の軍がモルフィネスの想定通りの展開をしていれば、間違いなく全滅していただろうと思われた。大掛かりな工事を施して企てた水攻めの策は、それこそ水泡に帰したのであった。しかし、皮肉な事にハンベエは眼前の虚しい光景を目にしながら、むしろほっとしていた。(策は破れたが、これでロキが大量虐殺という重荷を背負う事も無くなった。こちらの罠を見破ったのはきっとボーンなのだろう。ロキと仲の良いボーンが止めてくれたのだ。・・・・・・或いは神とやらは居るのかも知れない・・・・・・。まあ、俺には無縁のものだが。)ふと、そんな思いを浮かべ、空を仰いだ後、振り返った。 レンホーセン以下の騎馬傭兵部隊が馬上整列している。ロキの計算通りだったのだろう。王女軍陣地には氾濫の濁流は届かず、陣地は閑散となっていたが、何処にも破損は無かった。その一方、眼前の川は氾濫の傷跡生々しく、太子軍十二万の渡河は一朝一夕には進まないであろう事が有り有りと見て取れる。「陣地を棄てたのは何か勿体無かった気もするな。」
あるいはイザベラの心の底に、かねてハンベエが太子への返書をビリビリポイにした無作法への許しがたい怒りがあって、かかる作文を為さしめ、人を呪わば穴二つ、天罰覿面、喰らえ頂門の一針とばかりに、懲らしめの思いから筆が走ったものであろうか。それとも、人の心を操り弄ぶ、イザベラ一流の人の心理の裏の裏の裏々々・・・・・・まで見通した魔術なのであろうか。だがタンニルの復命後、ゴルゾーラ、ナーザレフ、タンニルの三人だけで持たれた会話は意外な方向に進展した。「これは内容から察するにハンベエからモスカに宛てらた恋文であるな。」噴飯ものの手紙に対し、ゴルゾーラの言い様は至って真面目であった。「そのようですね、太子。」「時期的には、アカサカ山でハンベエがフィルハンドラを討ち取った後にしたためられた物となるな。」「左様ですね。」「しかも、この内容だとハンベエとモスカは既に情を交わしている事になるが。」「真に。」試管嬰兒過程「ナーザレフ、このような事が有り得ると思うか。」「はて、私は神に仕える身なので、このような下劣な心情は計りかねますが・・・・・・。恋は思案の外とも申しますしな。」「思案の外か。しかし、伝え聞くハンベエという男の印象ではモスカ等と懇意になる事は間違っても有りそうに思えぬが。」内容的に見て太子やナーザレフ達がこの手紙を本物と思う可能性は一ミリも無さそうに思えるのだが、そうなればモスカ夫人の存命を匂わせて敵を撹乱する謀略もいっぺんに、ただの世迷い言であったかと水泡に帰する危険も大有りだと危惧される。「さて、どんな人間もその道ばかりは別とも聞き及んでます。ましてモスカ夫人は幾多の男を手玉に取ってきた妖婦。その道ではハンベエなど赤子も同然。強そうに見えても、人間には思いも寄らぬ弱点が有ったりしますからねえ。」ナーザレフは神官とも思えぬ下卑た笑いを浮かべていた。どういう心理なのだろうか。かねて魔の使いと呼んで敵視する男に対して、突如降って湧いた醜聞が、小気味良過ぎて嬉しさを隠せない様子なのだ。笑いが込み上げてどうしようもなくなっている。「私もその手紙が本物とは信じられぬ思いでしたが、逆にかかる信じがたい手紙をわざわざ偽造する意図も想像できないので、太子から戯れ言とお叱りを受けるやも知れぬと思いつつもお届けに上がった次第です。」タンニルは恐縮至極である「この手紙を見るに、一度は握り潰し、更に幾度も千切り破り捨てた後、思い直して貼り合わせた物に見えるな。」太子ゴルゾーラは手紙を手に取って思案顔に言った。この時、モスカの執事であったフーシエから届けられていた情報の中から、王女軍とステルポイジャン軍の対峙中、モスカがハンベエに対して異常な執着を見せていたという事柄が思い起こされていた。ゴルゾーラの頭の中を、憤怒の顔で手紙を握り潰し引き裂き、そして狂ったように拾い集めるモスカの姿が眼に映るように有り有りと流れていた「モスカにとっては、ハンベエとは愛憎共に深い存在なのかも知れないな。このような手紙を捨てもせずに持ち歩いているとは、捨てようとしても捨て得なかったのであろう。」と覚えず述懐するような言葉が漏れていた。「すると太子は、この手紙が本物であるとお思いになるのですか?」タンニルは少し驚き気味に言った。「モスカには力の狂信者のような一面が有った。強い者に餓えるあまりハンベエと申す者と結ばれようとも余は不思議とも思わん。・・・・・・が、我が方に何でも良いからハンベエの筆使いの判る文書は無いのか?」「ハンベエの書いたものですか。困った事に未だ何も手に入っていません。ゲッソリナに居る私の手の者もハンベエ直筆の物は手に入らないようです。ほとんど文書は口述して他の者に書かせるようですし・・・・・・。」 ハンベエの書き物として思い浮かぶ物はロキ宛のニコニコ通信、
「又私の為に危ない橋を渡ってくれているのですね。どうしてそんなにまでしてくれるのでしょう。」「さあな? そう言えば、王女ってのは意外と孤独なものだと妙な事言ってたな。王族でもなかろうに。」「……。でも、イザベラさんはとても美しい人ですし、何処かの国の王女だと聞いても不思議には思えませんが。」「ははは、確かにアイツなら、王女にだって化けおおせるだろうが、あんな凄腕の王女なんて育つわけねえ。」ハンベエは少し笑ってしまった。知らぬが仏、知らぬ顔のハンベエ。この場にロキが同席していたら、腹を捩らせそうだ。イザベラにキツく釘を刺されたロキはハンベエにすら嵐の夜の秘密を一切話していない。「そのイザベラから気になる話が入って来た。」「とは?」「ボーンって奴知ってるだろう。」「お会いした事は有りませんが、ハンベエさんやロキさんのお友達だというサイレント・キッチンの諜報員だと承知していますが。」」「戦はいつだって冷や冷やものだよ。ええと、イザベラの方は今のところ上手くやってるらしい。」英文故事書「と言うと、死んだはずのモスカ夫人が実は貴族達に匿われていたと思わせるまやかしの事ですか。」「うん、何せイザベラは変装の名人だからな。」モルフィネスが群狼隊以下を使って必死に調べているところさ。だから奴も最終的に戦略を詰てはいない。」「そうなのですか。でも、今日は何やら冷や冷やしてしまいました。「実はサイレント・キッチン戦闘部隊を率いる将として、ゴルゾーラに仕える事になったらしい。」「と言うと、戦場でハンベエさんと敵同士として……。」「行き掛かり上、敵に回る事は覚悟していたさ。……諜報員として陰にいた方が手強いのか、戦場で敵に回られるのが厄介なのかはまだ分からないがな。」「心中お察しします。」「いやいや、俺はヒョウホウ者。別に気も咎めねえ。一つ安心してるのは、ボーンは王女を暗殺しには来ねえだろうって事さ。それだけは救いだ。」「腕利きらしいですね。」「うん、腕は立つ。何より己の腕に驕ったところが皆目無いのが怖いところさ。」「何でしょう。会ってみたくなります。」「……。では、次の稽古は三日後に。」本日の業務連絡をハンベエは打ち切った。 早朝の薄もやの中、ボルマンスクの空高く一羽の黒い鳥が飛んで行く。ゲッソリナからとんぼ返りの鴉のクーちゃんである。足にはハンベエからイザベラ宛の秘密通信が結わえられてえいる。空に一つクルリと大きく輪を描くと、廃墟となっている寺院の本殿にスーッと降りた。灰色のマントにすっぽり包まれて、右の前腕を突き出すようにして石段に腰掛けているイザベラのその腕にフワリと止まる。「さて。」イザベラがクーちゃんの足の密書を紐解くと、『 順調の事 祝着至極王女も又案ずるところなれば 御身大切にモルフィネス埋伏のボルマンスク歩兵にても夫人生存の疑惑拡散工作中事の成否を問わず 必生を期されたしハンベエ 』 と有った。イザベラは読み終えると無言でそれを燃やし、何処ともなく姿を消した。前にも述べたが、ボルマンスクにはナーザレフ教団の猖獗により廃墟となった寺院や神社が数多い。イザベラにとってはおあつらえ向きの隠れ家であった。その数日後、ボルマンスク宮殿の太子の部屋で、人払いの上、二人きりの場を求めたナーザレフが太子ゴルゾーラに注進していた。「ゲッソリナに放っている我が手の者の情報に拠れば、王女の前で開く定例会議の場で、我等との戦争方針を廻ってハンベエとモルフィネスが激しい言い争いをしたとの事。向こうも一枚岩ではないようです。」驚いた事に数日前の『御前会議』の内容がボルマンスクのナーザレフに筒抜けになっていた。「そうか。」ほくそ笑んで伝えるナーザレフの言葉にゴルゾーラは気のない様子で答える。「あまりお気に召しませんか? 敵の弱みですぞ。」「半月後には全軍でゲッソリナに進軍予定だ。兵力差は知っての通りだ。ただひた押しに押せば勝つに決まっておる。」