「外?いいけど……」
チラリと蘭に視線を移すと、蘭はヒラヒラと手を振った。
「私はパス。stock broker in singapore お風呂上がりに外行くの嫌だし。いってらっしゃーい」
私は甲斐に促され、浴衣姿のまま部屋を出た。
少し周りをブラブラしたいと言う甲斐に付き合い、温泉街を散歩する。
温泉街は観光客や私たちのように浴衣姿で歩く人たちで溢れていた。
浴衣に合わせて下駄を履いているため歩きにくいけれど、甲斐はちゃんと私に歩幅を合わせてくれていた。
「意外と人いるんだね」
「道内では有名な温泉地だからな」
「そうだ!せっかくだし、温泉卵食べない?」
「お、いいじゃん」
出来立ての温泉卵が食べれるお店が近くにないか探しながら、二人で並んで歩く。
歩いている間の会話は本当に他愛もない話ばかりだけれど、一緒に歩くだけで楽しくて、多分私はずっと笑っていたと思う。
「わっ!」
そのとき、階段で足を踏み外してしまい転倒しそうになってしまった。
でも、間一髪で甲斐が私を抱きかかえてくれたため、怪我をせずに済んだのだ。
「あっぶね……大丈夫か?」
「う、うん!大丈夫!ごめん」
「下駄だから、歩きにくいよな」
甲斐から体を離すと、ふと甲斐は私の目の前に手を差し出した。「え?」
「いや、え?じゃなくて」
甲斐は苦笑いを浮かべながら、私の手を握った。
「危ないから、繋いでおく。こうすれば、転ばなくて済むだろ」
「……ありがとう」
「お前の手、熱いな」
繋いだ手から、熱が伝わる。
こんなのまるで、恋人同士みたいだ。
甲斐と私の仲がどんなに良くても、きっと今までは周りから恋人同士に見られたことなんてなかっただろう。
そんな空気を、纏っていなかったから。
手を繋いで歩くことなんて、なかったから。
「甲斐の手は……ちょっと冷たいね」
「風呂から上がって時間経ったからな」
「……でも、冷たくて気持ちいい」
夏の空の下で、下駄の音が心地よく響く。
柔らかな風が吹き、緑がざわめく。
息を吸うと夏の爽やかな匂いがして、隣を見ると手を繋いでくれている甲斐がいる。
「……」
甲斐のことを、凄く好きだと思った。
友達としてではなく、一人の男として好きになっていた。
いつからこんなに好きになっていたのだろう。
いつから私は、甲斐のことを友達として見れなくなってしまったのだろう。
そう考えたとき、甲斐と身体を重ねたあの夜がキッカケになったのだと感じた。あの夜がなければ、私は今こうして甲斐を好きだと気付くことは出来なかったかもしれない。
甲斐と気まずくなってしまうくらいなら、あのとき身体を重ねなければ良かったと何度も思った。
でも、今は違う。
あの夜があって良かった。
相手が甲斐じゃなかったら、私はきっと拒んでいたはずだ。
「好き……」
「え?」
「……」
驚き私を見つめる甲斐と目が合った瞬間、一気に変な汗が噴き出した。
今、私……好きだと言ってしまった。
思っていたことをそのまま口走ってしまうなんて、信じられない。
「七瀬、今……」
「ち、違うの!ほら、えっと……温泉卵!私、大好きなんだ!早くお店に着かないかな。道、こっちで大丈夫だよね?」
あぁ、もう、自分が何を言っているのか自分でもわからない。
必死に誤魔化してしまったけれど、驚く甲斐の顔を見てしまったら、甲斐を好きなんだとはどうしても言えなかった。
「……お前、紛らわしいんだよ」
甲斐に頭を軽くどつかれたけれど、痛みなんて何も感じない。
とにかく思わず口走ってしまった『好き』の余韻を掻き消すのに私は必死だった。自分の気持ちを自覚したのなら、いつかはちゃんと甲斐に想いを伝えるべきなのだと思う。
でも、怖い。
もしも今、素直な気持ちを伝えた途端に繋いだ手を離されてしまったら。
明日から、話しかけてもらえなくなってしまったら。
二度と私の隣に立つようなことがなくなってしまったら……。
甲斐の隣は、どこよりも私の心が落ち着く場所だ。
そんな場所を失ってしまったら、私は遥希に失恋したときよりも間違いなく大きなショックを受ける。
きっと、立ち直れなくなる。
「七瀬、着いたよ。ここじゃない?」
「あ……本当だ」
目当ての温泉卵が食べれる店に到着し、私たちはカウンターの席に通された。
すると席に案内してくれた四十代くらいの店員の女性が、私と甲斐を見てニコニコ微笑みながら声をかけてきた。
「美男美女のカップルですね。もしかしてご夫婦ですか?」
「ち、違……!」
「残念ながら夫婦ではないんですけど、俺の彼女です。綺麗でしょう?」
甲斐は自然と話を合わせ、初対面の店員さんと親しく喋り始めた。
全く人見知りをしない甲斐は、初めて会った人ともすぐに仲良くなれてしまう。
私はそんな甲斐のコミュニケーション能力に驚きながら、二人の会話が終わるのを静かに待った。
待っている間、私は密かに『俺の彼女』という響きに酔いしれていた。店員の女性が私と甲斐から離れた直後、私は口を開いた。
「甲斐って、本当に凄いよね」
「何が?」
「ああやって、誰とでも仲良く話せちゃうところ。人見知りの私には絶対無理だから、尊敬する」
「別に何も凄くないよ。俺はただ、人見知りしないだけ。それに七瀬だって、ちゃんと患者さんとは正面から向き合ってるじゃん」
「それは……」
プライベートでは完全に人見知りで、知らない人がいる飲み会には行きたくないくらい初対面の人と話すことが苦手なくせに、仕事では難なくこなせてしまう。
初診で来てくれた患者さんとそこまで話が弾むことはないけれど、苦手だという意識はなくなる。
自分でも不思議だけれど、自分の中でちゃんと区別出来ているのだ。
「俺は、人見知りでネガティブなお前もいいと思うよ。俺と違って物事に対して慎重だし、何でも深く考えてから行動するだろ?」
「……褒めてくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
月と太陽で例えるなら、間違いなく甲斐が太陽で私は月だ。
本質は全く違うのに、なぜか初めて会ったときから気が合った。
人見知りの私が初対面の相手に気を許したのは、きっと今までの人生で甲斐しかいない。